
新型コロナウイルスの流行とともに、ネット上ではある種の「救世主」のように語られた薬があります。
それがイベルメクチンです。寄生虫治療薬として高く評価され、ノーベル賞を受賞した実績もあるこの薬は、なぜ一部の人々から「ワクチンに代わる万能薬」として信奉されるようになったのでしょうか?
この記事では、イベルメクチン信仰と反ワクチン思想の背景にある論理構造と心理メカニズムを丁寧にひもときます。
イベルメクチンとはどんな薬?
まず基本を押さえておきましょう。
イベルメクチンは1970年代に発見された寄生虫治療薬で、主にオンコセルカ症(河川盲目症)や疥癬などの治療に使われてきました。人間にも動物にも使用されており、安全性は高いとされています。
ただし、新型コロナウイルスに対して効果があるという科学的根拠は現在までに得られていません。
初期に「試験管レベルの研究で効果あり」と報じられたものの、その濃度は実際の人体では使えない量でした。
その後の大規模な臨床試験でも、COVID-19への治療効果は確認されていません。
それでもなぜ、イベルメクチンは「効く」と信じられ続けたのでしょうか?
イベルメクチン信仰を支える3つの要因
1. 反体制・反権威の物語と親和性
「政府や大手製薬会社は信用できない」
こうした思いを持つ人々にとって、イベルメクチンは支配的な構造に抗う“正義の薬”として映りました。
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ワクチンは新しくて不安、しかも利権まみれ
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一方で、イベルメクチンは古くて安価で自然由来
という構図のなかで、「こっちの方が信頼できる」と感じられたのです。
2. 個人の自由と選択を守る象徴
反ワクチン界隈では、「政府が健康に口出しするのはおかしい」「接種は自由であるべき」という自己決定権の強調がよく見られます。
その中でイベルメクチンは、「自分で選んだ」「調べて納得した」治療法として使われ、“目覚めた市民”の象徴になっていきました。
3. 陰謀論と結びついた拡散力
「イベルメクチンの効果は製薬会社が隠している」
「成功した治療例は報道されない」
こうした言説がSNSで広まり、一部医師やインフルエンサーの発信が拍車をかけました。
YouTubeやTelegram、LINEオープンチャットなどでは、エコーチェンバー(自分と似た意見だけが届く環境)が形成され、疑似科学的な情報が繰り返し強化される構造になっています。
反ワクチン論の深層構造とは?
イベルメクチンへの信仰は、単なる「誤解」や「知識不足」では説明しきれません。そこには思想としての反ワクチン論があります。
主な構造的特徴
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善悪二元論:「製薬会社・政府=悪」「目覚めた市民=善」
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自然信仰:「自然な免疫こそが正しい」
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選択的懐疑論:「ワクチンには疑うが、代替療法には無批判」
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感情訴求:「ワクチンで子どもが死んだ」という逸話が拡散
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陰謀論への接続:「ビル・ゲイツが人口削減を狙っている」など
このような「世界観」が一度形成されると、科学的な事実では信念を揺るがすことが難しくなります。むしろ反証は「弾圧」と受け取られ、より一層の確信を生み出すことさえあります。
科学と信仰の境界で
イベルメクチンを正しく使うこと自体は悪いことではありません。しかし、それが**「科学に基づく医療の否定」や「ワクチンの危険を煽る道具」**として使われるなら、社会的な害悪になり得ます。
私たちが向き合うべきは、「なぜ人はそれを信じるのか?」という問いです。
そこにあるのは、不安、孤独、無力感、信頼の喪失といった複雑な感情と、それを補完する“分かりやすい物語”への欲求です。
おわりに
ワクチンもイベルメクチンも、万能ではありません。
私たちに求められるのは、「誰の言葉を信じるか」ではなく、「なぜそう信じたくなるのか」を問う力です。
根拠のある科学的知識と、他者への理解の両方を携えて、複雑な情報の海を泳ぎましょう。


